昭和28年(1953年)勝海良雄が大樹町西本通9番地で電気工事を始める。この頃、大樹村の人口約11000人、前年には十勝沖地震があり、この年には十勝川大洪水がありました。2年ほど前に大樹開拓農協がヌビナイ川(歴舟川上流)に発電所を完成させ、農村にもようやく電灯がともり始めました。まもなく仮住から新大樹2条通に移転しました。
昭和38年(1963年)有限会社勝海電気商会を設立。この頃、大樹町の人口約10000人、前年には十勝岳噴火があり、翌年には東京オリンピック。このころ、当社が大樹で初めて、テレビを設置して会社の前で放映しました。大相撲は大変な人気でした。アンテナは札幌方向に向けて約7メートルのポールを立てアンテナを設置しました。勿論、白黒テレビ。このころは家電製品と電気工事を両方営み、自動車が普及し始めた頃でした。
昭和58年(1983年)組織変更により 勝海電気株式会社となりました。この頃、大樹町の人口約8000人、十勝管内は冷害により凶作。ディズニーランドがオープンした年でもあります。家電販売から撤退して農村電化工事、そして 北海道電力の配電工事と内線工事を主な事業としました。1987年国鉄広尾線廃止、バブル景気
平成7年(1995年)現在地 大樹町字下大樹に本社移転。平成8年(1996年)有限会社コスモスハート設立 平成14年(2002年)資本金2000万円に増資、特定建設業。平成14年(2002年)帯広稲田に帯広支店(のちに札内に移転し、札内支店)設置。2002年頃大樹町の人口約6500人。平成24年(2012年)株式会社鹿追ホットスプリングス設立。電気工事を中心に各種工事品目を追加して現在に至っております。
鹿追町にあります 然別峡かんの温泉です。
当社の関連企業として営業しております。
帯広市にあります 平原通り小劇場
当社の関連企業がテナントとして営業しております。
全町電化記念 鉄ビン
電気がなかった時代、大樹町の人々は歴丹川上流のヌビナイ川に水力発電所を建設し(昭和26年7月着手、28年8月通電)、自ら電気を作り、町内の農家に供給していました。その後、供給網は農村電化計画により大樹町全域へと電気を供給するに至りました。その時に「大樹町電源開発期成会」が「全町電化記念」として作成し、関係者に贈った記念品です。大樹町の旧家を取り壊した際に出てきたこの「やかん」、発見者からいただきました。
雪害大停電 昭和34年頃、大雪により町内全域が一週間ほど停電する事態となりました。その時の復旧作業の写真です。雪上車を先頭に、スキーを履いて復旧現場に向かう際の写真です。
コンクリート電柱 初建込 昭和36年、37年頃に、コンクリート電柱が登場し、幹線配電線は従来の細い木柱からコンクリートに建て替わっていきます。木柱の頃は手作業で建込を行っておりましたが、コンクリート電柱より林業関係の中古のユニッククレーンを用いての建込みとなりました